2012年3月10日土曜日

十津川村道普請Part2

初投稿は先日行ってきた道普請について考えていきたいと思います。

まず書いておきたいことに、
十津川村にボランティアに行ったのは2/23-2/34のことです。
その時は昨年の台風12号のせいで参詣道がとても荒れていました。
その道を直したのですが、私がそこでESDを感じることはそこまでありませんでした。
しかし、先日、奈良県南部での大雨洪水警報をニュースで聞いて、私は十津川村のHBPのみなさん、農家民宿の方のこと、そして自分たちが道普請した参詣道のことがとても気になりました。
たとえば、『自分が行ったことがある海外で内戦がおこれば、その時の記憶がよみがえり、「~はげんきかなあ」と思うことでしょう。そうやって、自分とある国とつながることも、一種のESDで、これこそが地球市民である証(わが師の言)』
日本という小さなコミュニティーでもこうやって私はESDを感じることができました。
それだけでも私はボランティアに行った価値があったと、初めの言葉として記したいと思います。


それでは本題の活動報告に行きたいと思います。

2/23(木)

私たちユネスコクラブは、朝の9:00に大学正門を出発しました。
当日はあいにくの雨で、部員全員が、途中で引き返すことも頭に入れていました。
しかし、天理を越えたあたりで天気は持ち返し、十津川村に入ったときには天気は晴れとは言えないものの、雨は降っていませんでした。
ちなみに車の中では簡単な自己紹介を済まし、通り過ぎていく街並みの歴史的な話をしたり(歴史的なことは私にはほとんどわかりませんでしたが)、自分の昔話に花が咲きました。
谷瀬のつり橋。先が確認できないし、
目の前の説明がさらに恐怖をあおる。
十津川村に入った後はひたすら山道を車で駆け、とりあえず、谷瀬の吊橋を見学(とても長くて、ビビりながら)して、途中泉の湯(十津川村には温泉がたくさんある)に立ち寄り、十津川村役場にたどり着きました。
十津川村役場の前には村唯一と言われる信号があり、また、足湯も近くにありました。駐車場が断崖絶壁にあるのも見もの(笑)

十津川の歴史資料館を見学した後、五百瀬(いもせ)小学校に向かいました。
現地ではかんのがわHBPのみなさんが迎えてくださり、十津川の最近のお話を聞かせていただきました。
そして夕食。



夕食の写真見るからにおいしそう
言うまでもなく最高においしかったです。
メニューは
シカ肉のステーキ(あく抜きが何回もされていて、その味はクジラに似ている)
山菜の天ぷら(シイタケ、サツマイモなどなど)
大根とにんじんのなます
ブリ大根
大根のサラダ
おでん
茶がゆ
たくあん
みそ汁
など、現地でとれた食材をもとに最高のおもてなしをいただきました。



そして就寝

2/24(金)

山のほぼてっぺんからの写真。
この日は9:00から移動をし、ボランティアに向かいました。
まずは山登りから。今回の道普請は、山のほぼてっぺんで行いました。空気がとても薄かったので、苦しかった。・・・・・・冗談です。正直空気は標高600メートルくらいではあまり変化しませんでした。しかし、2時間の山登りはとてもきつかった。
道普請の場所に行くと、そこは道幅が1mもなくなっていて、さらには、その道の上に大きな石や木の枝が散乱していた。
その石や枝を動かし、また、台風でできてしまった水の流れの整備を行って、2時間ほどで下山を開始しました。
下山途中も、道がつぶれかけているところを直しながら、降りていきました。
山での仕事だったせいか、私はこの下山途中に一回こけたのと、数えきれないほど足を滑らせ、一人で山から転げ落ちるのではないかとひやひやしていたのは、一生の内緒ごとです。

お昼ごはん。
これも最高においしかった。
五百瀬小学校に戻ると、最高の昼ごはんが待っていました。
お昼ごはんは
めはりずし
きんぴら
シカ肉のフライ
などがありました。
その中でも、さんまの丸干しは衝撃でした。
さんまの干物といえば、たいていは開きですが、十津川村では、まるまま干すのが風習だそうです。
ちなみに、十津川村では海産物がとれない(海がない)ので、海魚のおもてなしは、最高のおもてなしであるそうだ。とてもうれしい!

そして帰る前に伯母子峠の手前まで見学に(次の下見もかねて)行き、車で滝の湯に向かい、帰路についた。温泉に浸かったのは18:00であったが、大学到着の予定は20:00だった。
行きの様子だとまったく予定に合わないなと考えながらも、ゆったりと体の疲れをいやしたのであった。

今回のボランティアの活動に関しての感想
まず、ESDについては前にも書いたとおり、「地球市民としての」自覚ができたことがとても大きいだろう。また、自分の経験値にもなった。
私は前回の道普請には参加できなかったが、報告会で聞き興味を持ち、今回のボランティアで、少し得た気がする。そして、私がニュースで感じたようなことがまたどこかで起こるかもしれない。そのために、私は今回のことを忘れないようにしようと思う。それが、つながりの証であるとともに、自分を支えていくことに間違いはないだろうと思うからです。



最後に十津川でであった面白看板を張って終わりにしたいと思います。

十津川村では自販機に看板が必要なのだ

後藤田

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