2012年3月16日金曜日

十津川村道普請ボランティアpart2追記

こんにちは。
今日は先日行った十津川村道普請ボランティアpart2の追記を書いていきたいと思います。

今回のブログでは、道普請を行っている様子や、道普請を行った前後での変化を主にして書いていきたいと思います。また、活動の合間に触れ合った十津川村の方々との出来事も書いていきたいと考えています。


山頂付近からの撮影
 まずは道普請についての説明から・・・・・・
『現在、日本には16件の世界遺産があり、そのひとつである「紀伊山地の霊場と参詣道」は、他の世界遺産とは異なる特徴があります。それは吉野と熊野と高野山をつなぐ「道」が世界遺産として登録されていることで、「道」が世界遺産に登録されているのはスペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」と「紀伊山地の霊場と参詣道」だけです。世界遺産は、国境を越えた「人類共通の宝物」です。特に文化遺産は、その時代その時代の人たちが大切に守ってきたからこそ、今目の前に見ることができるものです。そして過去から受け継いだ私たちには、将来の世代に価値を損なうことなく伝えていく義務があります。この自分たちのことだけでなく将来の人たちのことも考えるというところに、世界遺産とESD(持続発展教育)の共通点があります。』(ユネスコクラブ広報誌、つながり3号より抜粋)
今回はその中でも「紀伊山地の霊場と参詣道」の十津川村内「小辺路」の道普請(修復作業)を行ってきました。
 

小辺路周辺の台風被害の光景
歩いて通ろうにも、道が土石流によって寸断されている。ニュースでは全く報道されないが、まだまだ十津川村にはこういった場所が数多く残っているのも現状である。


道普請の様子と活動前後での様子

左が活動前の写真。右が活動後の写真です。
見ての通り、活動前は落ち葉や石が大きく、足元が滑りやすい状況でしたが、活動後はきれいに整備され、通りやすくなっています。


左が活動前の写真で、右が反転していますが、活動後の写真です。
こちらは前の写真に比べ、落石や流れてきた木が多く通るのも一苦労で、道普請後は、なんとか人一人は通れる程度に復帰しました。


川の流れの整備中!

 このほかには、土石流でもともとはただのくぼみであったところが見事に川のようになっていたので、そこの石を取り除く作業を行いました。
(右に参照した写真が、その様子。頑張っているユネスコクラブの様子がうかがえる)

地元の方も道普請を頑張っておられた!

そのほかにも、前日に降った雨のせいか、落ち葉やがれきが落ちているところも多々あったが、これ以上道普請をしていると、下山する時間がなくなってしまうので、あきらめて下山しました。





地元の方々とのつながり

かんのがわHBPの方々とミーティング中

今回のボランティアのお手伝いと、十津川村の振興事業お行っている、かんのがわHBPの皆さんとは、十津川村に到着したときにお会いし宿泊場所のお世話から、夕ご飯昼ごはんのお世話にもなった。かんのがわHBPの方々は、個々に目標を持っておられ、十津川村の出身でもないのに、十津川村の振興事業を行っておられた。これも、かんのがわHBPの方々と、十津川村の一種のつながりであるんだなあと思いました。
しかし、この振興事業もプロジェクト期間が残りわずかで、持続発展的でない。ユネスコクラブの一員として、奈良に学校に通う一員として、応援したいと考えています。がんばれ!十津川!頑張れ!かんのがわHBP!


そのほかには廃校になった五百瀬小学校校舎を見学しました。中は古き良き校舎の名残も感じられ、十津川への配属も考えなきゃなあという教員志望のユネスコ部員もいました(笑)

(校舎見学の時の写真。みんなで授業を受けています!)





そのほかにもたくさん語りきれないことがありました。
そのことについては、ボランティア報告会等を通じて皆さんに発信していきたいと考えています。
それでは今回はこの辺で・・・・・・



後藤田

2012年3月11日日曜日

ユネスコクラブ映画鑑賞会第一弾

こんにちは。
今回はユネスコクラブ映画鑑賞会第一弾の活動報告です。

そうです。
奈良教育大学ユネスコクラブでは、こんな緩い活動もしています。
興味のある皆さんは、ぜひメールでもなんでもいいので、一報ください。

はい。宣伝までに・・・・・・

本題に戻ります。
今回の活動は、奈良市の小学校の教員の方をお呼びして、映画の鑑賞をするというものでした。
内容をいうとそんな感じです。
終わり。


では味気がないので、
映画の内容にも触れつつ、活動報告を行いたいと思います。

初めに私がこの活動を聞いたのは前日の昼間でした。
食堂の前で、中澤先生に偶然お会いして、少し挨拶をした時のことです。
「おお!いいところに!」
てなわけで、メールを作ったのですよ。
「突然ですが、明日、ユネスコクラブ映画鑑賞会を行います」
という、突然すぎるメールを(笑)

見た映画は2008年公開の「ブタがいた教室」(原作:黒田恭史)でした。
映画のチョイスは教員のN先生(今回の鑑賞会にはNさんが半分を占めていました(笑))で、内容は新任教師の星(妻夫木聡)は受け持つクラスでブタを飼育して食べることを提案し、そのブタを一年間育てることにした。そして卒業のシーズンを迎えると、そのブタをどうするかがクラス会であがる。クラスは「食べる」と「食べない」の二つの意見に分かれるというものでした。
感想を書いて、みんなでディスカッション中

内容的には、「食べ物の大切さといのち」もしくは、映画の中でも言われている、「いのちの長さはだれが決めるのか」ということだと私は感じたました。
Pちゃん(ブタの名前)を長生きさせることが幸せなのか、初めの約束どおり食肉センターに送って食べることが幸せなのか。二つの意見がぶつかり、人間の食べ物を得るためのエゴや、いのちの長さの基準を人間が決めることについてなど、議題はいろいろなところに広がっていました。
映画が終わってから聞くと、この映画は子どもには台本がほぼ白紙で与えられるそうで、子どもの生の意見が映画に反映されているということに、さらに私の緩い涙腺が刺激されてしまいました。

これ以上言うと結末を言いそうになるので、感想は終わります。
この後、みんなで感想と飼育係についてのお話を少々行い、会は閉じました。
私がこの話し合いでおどろ他のは、岐阜県の学校には、学校内に川があるところがあるそうで、その川でコイを飼っていた(本人が言っていました)ということでした。
自然と教育の融合って最近よく聞きますが、その最先端を行っている気がしました。

今回はこの辺で終わります。

今回と前回は写真が入っていませんが、それは、私の手元に写真がないからです。
手に入り次第、投稿し直します。

追記:写真が手に入ったので、追加しました。
また、この活動は、ユネスコクラブの本活動ではなく、ユネスコクラブのシネマ倶楽部の活動らしいです。なんだよくわからん(笑)


後藤田

2012年3月10日土曜日

私の好きな奈良第三弾 柿の葉寿司Project

どうも現在大急ぎでユネスコクラブのHPを作成しています(笑)

今日は3/6の私の好きな奈良、第三弾「柿の葉寿司Project」の活動報告です。

今回の企画提案者は、私が行っていて、講義形式も私が行いました。
内容は、おすしの歴史について考えて、奈良の吉野、五條という山間地ではぐくまれた「柿の葉寿司」のお話を行い、柿の葉のお茶を飲み、柿の葉寿司についてのシンキングタイムをおこない、その後、柿の葉寿司を試食しました。
今回は平宗㈱に見学に行った部長を中心に柿の葉寿司でESDを行いました。

まず私が行った講義形式について。
お寿司の歴史は日本に的をしぼり、すしなから始まる日本の伝統的な保存食についてかんがえ、江戸前寿司との違いについて考えました。
もちろん、柿の葉寿司のもとは『熟れずし』であるので、その話にも話を膨らませました。
そこで各地の寿司情報についても触れました。
個人的には、「ばってら」が関西のマイナー寿司であったことが印象的でした。

そして、柿の葉寿司についてのシンキングタイムをしました。
一つ目の議題は
「なぜ柿の葉で包むのか」

この中ではかなり貴重な意見がいろいろと出ました。
・保存
・しょうゆさし
・食べられる
・数を数えるのに便利
・柿の葉の保存の成分を経験則的に知っていた
などなど。
文献によると明確な答えがなく、ほとんどが、目の前にあったからという安易な理由でした。
しかし、柿は奈良の名産品でもあるので、あながち、これが答えかもしれません。

二つ目の議題は
「柿の葉は食べることができるのか」
この議題は大半が食べられないという回答でしたが、一人だけ、山菜のように食べられるという面白い回答でした。

この答えはもちろん食べられます。
柿の葉ご飯や、柿の葉の天ぷらなど、土地によっては文化として、食べているらしいです。

三つ目の議題は
「サバはどこから来たのか」
サバはもちろん山で採れたサバではなく、和歌山で獲れたサバを現地で塩サバにして、世界遺産である、熊野参詣道を登ってきたそうです。
そうすると、3-4日のあいだに程よい塩加減になって十津川、五條あたりに到着するそうです。

最後の議題は
「柿の葉寿司は押しずしかなれずしか」
もちろん古来の柿の葉寿司は熟れずしでした。しかし、商品化が行われたり、酢の開発が行われて、柿の葉寿司は発酵のプロセスを経なくても、良い酸味を得ることに成功したのです。
ということは現在は柿の葉寿司は「押しずし」という結論に至ります。
私には一つ引っかかる部分があったのです。それは、なれずしでも、「馴れずし」というものがあるということです。発酵のプロセスを経ることなく、ただ味を馴らす(なじませる)ためだけに箱を用いて重しを乗せる「馴れずし」という言い方もあるようなので、私の結論としては、柿の葉寿司は「押しずし」でもあり、「馴れずし」でもあるという結論で、このように分けることは意味のないことであるという結論に至りました。
わざわざ分ける必要のないものを分けてしまって、なれずしという存在がなくなるのは持続的じゃないですよね。


そして柿の葉寿司の試食会。
柿の葉寿司はサバとサケを30ケずつでした。一人当たり5ケくらい。
もちろん昼間に開催したので、みなさん簡単にぺろりといかれました。
中には柿の葉も食べる猛者も・・・・・・

最後に見学に行かれた部長の発表をもとに、奈良と京都の違いについてディスカッションを行い会は閉じました。
この会議の様子は後程ブログに挙げたいと思います。


柿の葉寿司について考えることで私は、大阪の食い倒れ、京都の着倒れ、奈良の寝倒れという概念から、奈良にもおいしいものがあるよということをアピールしたかったので、たぶんその部分は簡単にクリアできたと思います。
次は、もっと記憶に残る(持続できる)企画をできたらななんて考えています。


追記:次は柿の葉寿司の工場へ見学に行き、柿の葉寿司手作りツアーができるかもしれないとかなんとか・・・・・・




後藤田

十津川村道普請Part2

初投稿は先日行ってきた道普請について考えていきたいと思います。

まず書いておきたいことに、
十津川村にボランティアに行ったのは2/23-2/34のことです。
その時は昨年の台風12号のせいで参詣道がとても荒れていました。
その道を直したのですが、私がそこでESDを感じることはそこまでありませんでした。
しかし、先日、奈良県南部での大雨洪水警報をニュースで聞いて、私は十津川村のHBPのみなさん、農家民宿の方のこと、そして自分たちが道普請した参詣道のことがとても気になりました。
たとえば、『自分が行ったことがある海外で内戦がおこれば、その時の記憶がよみがえり、「~はげんきかなあ」と思うことでしょう。そうやって、自分とある国とつながることも、一種のESDで、これこそが地球市民である証(わが師の言)』
日本という小さなコミュニティーでもこうやって私はESDを感じることができました。
それだけでも私はボランティアに行った価値があったと、初めの言葉として記したいと思います。


それでは本題の活動報告に行きたいと思います。

2/23(木)

私たちユネスコクラブは、朝の9:00に大学正門を出発しました。
当日はあいにくの雨で、部員全員が、途中で引き返すことも頭に入れていました。
しかし、天理を越えたあたりで天気は持ち返し、十津川村に入ったときには天気は晴れとは言えないものの、雨は降っていませんでした。
ちなみに車の中では簡単な自己紹介を済まし、通り過ぎていく街並みの歴史的な話をしたり(歴史的なことは私にはほとんどわかりませんでしたが)、自分の昔話に花が咲きました。
谷瀬のつり橋。先が確認できないし、
目の前の説明がさらに恐怖をあおる。
十津川村に入った後はひたすら山道を車で駆け、とりあえず、谷瀬の吊橋を見学(とても長くて、ビビりながら)して、途中泉の湯(十津川村には温泉がたくさんある)に立ち寄り、十津川村役場にたどり着きました。
十津川村役場の前には村唯一と言われる信号があり、また、足湯も近くにありました。駐車場が断崖絶壁にあるのも見もの(笑)

十津川の歴史資料館を見学した後、五百瀬(いもせ)小学校に向かいました。
現地ではかんのがわHBPのみなさんが迎えてくださり、十津川の最近のお話を聞かせていただきました。
そして夕食。



夕食の写真見るからにおいしそう
言うまでもなく最高においしかったです。
メニューは
シカ肉のステーキ(あく抜きが何回もされていて、その味はクジラに似ている)
山菜の天ぷら(シイタケ、サツマイモなどなど)
大根とにんじんのなます
ブリ大根
大根のサラダ
おでん
茶がゆ
たくあん
みそ汁
など、現地でとれた食材をもとに最高のおもてなしをいただきました。



そして就寝

2/24(金)

山のほぼてっぺんからの写真。
この日は9:00から移動をし、ボランティアに向かいました。
まずは山登りから。今回の道普請は、山のほぼてっぺんで行いました。空気がとても薄かったので、苦しかった。・・・・・・冗談です。正直空気は標高600メートルくらいではあまり変化しませんでした。しかし、2時間の山登りはとてもきつかった。
道普請の場所に行くと、そこは道幅が1mもなくなっていて、さらには、その道の上に大きな石や木の枝が散乱していた。
その石や枝を動かし、また、台風でできてしまった水の流れの整備を行って、2時間ほどで下山を開始しました。
下山途中も、道がつぶれかけているところを直しながら、降りていきました。
山での仕事だったせいか、私はこの下山途中に一回こけたのと、数えきれないほど足を滑らせ、一人で山から転げ落ちるのではないかとひやひやしていたのは、一生の内緒ごとです。

お昼ごはん。
これも最高においしかった。
五百瀬小学校に戻ると、最高の昼ごはんが待っていました。
お昼ごはんは
めはりずし
きんぴら
シカ肉のフライ
などがありました。
その中でも、さんまの丸干しは衝撃でした。
さんまの干物といえば、たいていは開きですが、十津川村では、まるまま干すのが風習だそうです。
ちなみに、十津川村では海産物がとれない(海がない)ので、海魚のおもてなしは、最高のおもてなしであるそうだ。とてもうれしい!

そして帰る前に伯母子峠の手前まで見学に(次の下見もかねて)行き、車で滝の湯に向かい、帰路についた。温泉に浸かったのは18:00であったが、大学到着の予定は20:00だった。
行きの様子だとまったく予定に合わないなと考えながらも、ゆったりと体の疲れをいやしたのであった。

今回のボランティアの活動に関しての感想
まず、ESDについては前にも書いたとおり、「地球市民としての」自覚ができたことがとても大きいだろう。また、自分の経験値にもなった。
私は前回の道普請には参加できなかったが、報告会で聞き興味を持ち、今回のボランティアで、少し得た気がする。そして、私がニュースで感じたようなことがまたどこかで起こるかもしれない。そのために、私は今回のことを忘れないようにしようと思う。それが、つながりの証であるとともに、自分を支えていくことに間違いはないだろうと思うからです。



最後に十津川でであった面白看板を張って終わりにしたいと思います。

十津川村では自販機に看板が必要なのだ

後藤田